MATSUI PEARL
History
松井眞珠店の歴史
真珠にまつわる話
当初は天然真珠を扱っていましたが大正12年より半円真珠の養殖を開始、ここ賢島に店を構えたのは昭和4年のことです。
今でこそ志摩の高級リゾート地というイメージの賢島ですが、意外にも鉄道が乗り入れた昭和4年に観光地として開発されるまでは無人島でした。「海の軽井沢を作ろう」を目指して集ったのは当店をはじめ、旅館業や飲食業を営む人たち…賢島は当初真珠島と呼ばれ、真珠に夢を託した同士でした。
昭和4年、開店当時の店舗の前にて。当時40名ほどであった日本の真珠業界の面々。
伊勢志摩初の真珠専門店の
記念すべき歴史の幕開けです。
─── 「男はつらいよ」39作
この地に根をおろして90余年。以来、どの商品のひとつひとつにも高い品質を守り伝えるという役割を担ってまいりました。真珠がファッションの主流を占めてきている今日、松井眞珠店は老舗としての責任の上にたゆまぬ努力を重ねております。
真珠はアコヤ貝の中でひそかに時を待ちます。
美しい英虞湾の夕暮れどき、真珠筏はたそがれの海に絣模様のシルエットを描き、その間を縫ってポンポン船がやさしい響きを残しながら賢島へ・・・賢島は昭和4年、伊勢の奥座敷として開発された、英虞湾に浮かぶ周囲7km半の島です。ウグイスの声、タヌキの出没など、志摩の自然をそのまま残し、時を忘れるほどの大自然は、昭和天皇が愛された島でもあるのです。
真珠は宝石の中でも傷つきやすく、酸に弱いデリケートな特徴をそなえております。お手入れはご使用後やわらかい布で汗やホコリをきれいにぬぐってお使い下さい。これだけで、いつまでも良い光沢を保ちます。また、長くお使いになりますと、汗で糸が黒くなったり、伸びたりするため、糸にゆるみが見えた時は糸のお取替えをおすすめします。
粒が大体同じ大きさの集り。一本の長さが約40センチ、16インチの国際サイズです。
中心の球が一番大きく、外側にゆくほど小粒となります。重さによっても長さの規準が違います。
チョーカー(16インチ)を1.5本使った長さのものをいいます。
チョーカー(16インチ)を2本の長さにしたものをいいます。
チョーカー(16インチ)を3本、それ以上使って作ったものをロングといいます。
真珠の価値は光沢(真珠層の厚さ)、色、形、大きさ、キズによって決まります。
真珠の生命・真珠層の厚いものほど神秘な耀きを放ちます。
真円・卵形・変形などあり貴重とされていますが、やはり真円に近いものほど高価です。
ピンク・クリーム・ゴールド・グレイ・ブラックなど、母貝により様々な色があります。
大きなものほど価値があり高値です。しかし、上の項目を満たしていることが条件となります。